筑駒(教駒)で私が受けた授業はこんなだった:『音楽』

音楽の先生は日本でも高名なバロックの演奏家だった。

 

最初の授業で先生は「テキストはベートーベンの9つの交響曲とするので、スコアを用意しておくように」とおっしゃり、私は「交響曲第一番」のスコアを買いに渋谷まで出かけた。

2コマ続きの授業ではベートーベンの交響曲を第一から第九まで、毎週1楽章ずつ、進められた。先生のピアノ伴奏に合わせ「この部分はバイオリンのパートを」「この部分はフルートのパートを」との指示に従い、アルトリコーダーで皆で吹いた。

シャープやフラットの数はおかまいなしに指示がだされ、さらにトランペットやホルンのような移調楽器(ト音記号ではない楽器)のパートが指示された時は大変だった。

 

二年の授業はバロックが中心で、現代音楽に加え一人一人の独奏会もあった。ピアノによる和音の聴音のトライアルでは私だけが最後まで付いて行く事ができ先生と11の勝負のような状態になった。私が最後まで残ったのは私がたまたまギターとピアノの両方をたしなんでいたからで、音楽で私より優れた同級生は何人もいた。

 

社会人になってリコーダーが恋しくなり、本格的な木製なり竹製の物を買おうと思い先生にアドバイスを頂いたら、「プラスチック製が一番だ」と言われた。ソプラニーノからバスまでサイズの違う5本のリコーダーを買いそろえたのだが、飾っておくだけで満足してしまった。

 

先生が我々に最も伝えたかったのは明らかにバロックだった。ベートーベンをテキストに初見で自在にリコーダーで吹けるようにするのも、その何割かはバロックの演奏を当時のイタリア人たちが楽しんだような形で楽しめるようになるための「素養」を得るための物のように思えた。

社会人になって小遣いが劇的に増え、バロックのレコードを随分買った。しかしどのレコードもどこか違う。私が授業で感じたバロックは深い所で自由であり、その自由さはレコードに封じ込める事は出来ないものなのではないかと想像した。こんな考えが正しいのかどうかは分からない。

 

 教駒の卒業後、私は特殊な技術をいくつも身に着けた。例えばギターのコードで移調を自在にできる事は勿論、ピアノでも歌い手の音域に合わせて伴奏を自由に移調できるようになった。大学時代はちょうどフォークソングや歌謡曲の全盛の頃で、おかげで随分と得をした。

 

 その後、ピアノとギターを一生の友とできたのも教駒の音楽の授業のおかげだ。素人流の楽しみ方だが、音楽は私の人生を限りなく豊かにしてくれた。

 例えば9年前には合唱サークルを結成、私はそのサークルの会長となり中学校の同級生等を歌姫としてプロの指導を受けながら練習、年に2回、老人ホームで慰問のコンサートを開いた。歌姫たちにピアノとギターで伴奏するのが私の担当だ。プロの先生によれば生徒の女性の最高齢は80才で、近く舞台で独唱をするとのこと、我々もそれを目指す事にした。ただし、新型コロナ突入後はお休み中だ。

 ドラマーのきりばやしひろきさんが主宰する「楽器挫折者救済合宿」という痛快な二泊三日の音楽ツアーがあり、これには7回参加した。こちらも現在お休み中だと思う。

 CDは手持ちの物を全部iTunesにインポートした後にすべてを捨てるつもりだったが、先日の「404枚目」で挫折した。このペースでは残りが終わるころには私は75才になるからだ。