瑠璃廟(るりちょん)/中国と日本とのとてつもない物価差に幻惑された時代

 中国の本土へ初めて行ったのは1991年の事だった。この時に訪問した都市は北京、西安、上海だった。土産物に関して言えば、他のエマージング諸国の土産物は安い事は安いのだが私の購買意欲はあまり刺激されなかった。ところが当時の中国には日本人のそれをきわどく刺激する種類のもので溢れていた。例えば「書道用の上質な和紙」「高級なすずりと墨」などはこんなに買ってどうやって運ぶ気だと思うくらい、買う人がいたりする。  

 

 中国で私が惑わされたのは「片仔廣(へんしこう)」という当時は日本では未承認の漢方薬だった。連夜の接待が続き肝臓が痛くなってもそれでもなお接待で飲まなくてはいけない時にこれを飲むと効くそうで、中国で買うと数千円なのだが日本ではその3倍で売れるという。一儲けしようと20個くらいを買ったのだが、よく見るとパッケージに書かれた成分の中に「じゃこう牛」がある。じゃこう牛は絶滅危惧種でありワシントン条約にひっかかって税関で没収のはずだ。大慌てで手荷物のあちこちに分散して忍び込ませて日本へ持ち込んだのだが、これは「密輸」だったのだろうか。しかし私の人知れない苦労にも拘わらず、こんな怪しげな漢方薬を買ってくれる人は一人もいなかった。

 

 北京に瑠璃廟(るりちょん)という骨董街があり、そこで日本人が買う物は100%ニセ物だという。伝え聞く話ではアサヒビール担当の大手広告代理店の方が瑠璃廟(るりちょん)で昭和初期の年号が書かれた「アサヒビールののぼり」を見つけ、クライアントに見せるのだと嬉々として買おうとする。同行した人間が「アサヒビールという社名になったのは戦後の企業合併後なのでこののぼりはどう考えてもおかしい」と彼を諫めたのだが、本人はクライアントの担当者から役員の喜ぶ顔が浮かんで舞い上がっていて、大枚を出して買ったという。もっとも社名はともかく「アサヒビール」という商品名は明治25年の発売だったようだ。たとえそうだとしても、こののぼりはたぶん偽物なのだ。 

 

 西安の日系ホテルには「日式ラーメン(日本式のラーメン)」があった。それまでの数日、毎食、中華料理のフルコースを食べ続けていた。円卓に座ると必ず北京ダックが最初にドスンという感じで中央に置かれた。当時、北京ダックは日本では高級料理だったのだが、これが毎食続いたために西安に着いた時にはもう勘弁してくれという状態になっていた。そこへ「日式ラーメン」が登場、あまりのなつかしさに同行者と一緒に涙を流しながら食べた。ところがホテルでの価格約1000円のこのラーメン、ホテルの外では全く同じものが10円なのだそうだ。このホテルのコックが副業でやっている店なので、完全に同じラーメンだという。

 

 当時のこの日中の価格差をもっとも確実にゲットするのが「じゅうたん」で、日本と現地を頻繁に往復する人が担いで持って帰っていた。リビングに敷くような大判のじゅうたんを極太に巻き、肩に乗せて天秤棒のように担いで歩いて運ぶ重労働だが、彼は手慣れた様子だった。たぶん現地で10万円か20万円くらいの物が、日本では末端価格が数百万円くらいで売れるのだと思う。

 

 その他、とんでもなく安い物がやたらに目につくわけだ。 

 

 三井不動産の子会社が西安市と合弁で同市初の現代的ホテルを建築しようとした時、ある役員が「兵馬俑を西安市から一体もらったらどうでしょうか」と言った。日本に兵馬俑が二体か三体来ると見物客が大行列という時代で、誰も彼のこの提案を真に受けなかった。ところが現地では兵馬俑が1000体か2000体、「うじゃうじゃ」という感じであり、こんなにあってはありがたみが薄れてしまう。掘ればまだまだ出てくるのだが掘り出してしまうとメンテにお金がかかるので、ペースを加減しているのだという。あの時に「ホテルを建てる条件として兵馬俑を一体、欲しい」と言っていたら本当にもらえたかも知れない。