バッハ氏がへつらうヨーロッパ貴族にとって,天皇家は成り上がり国家の土豪か

 今回のブログは僅かな情報を組み合わせた私の妄想だ。

 しかし私はドイツ人の中であれほど不愉快な人間は見た事が無い。もちろんバッハIOC会長の事だ。私はもうドイツ人が大嫌いになった。

 

 さて当方、ヨーロッパの貴族の話なんて、知る訳がない。

 

 日本の旧華族は三家とお付き合いした。公爵家、侯爵家、男爵家のそれぞれの末裔だ。

どなたも普通の生活をされているのだが、ところどころ浮世離れしていた。 

 ある方はおじいさまがある学問の日本での創始者で区が建てた業績を称える銘板が元の庭先にある。別の方のご先祖様の支配地に彼を通じて出張したら現地での接待は踊り手さん達多数が舞う竜宮城のごとき状態となった。もうおひと方は解体した本家の豪壮な木造住宅が某公園に移築・保存された。

 しかし我々との普段の関係はごく普通で、金銭感覚もぜんぜん違わない。金銭感覚が違うのはいわゆる成金の家系の人間で、例えば紀伊国屋でのワインのまとめ買いが半端ではなかった。

 

 IOCの本当の実態はメディアで知る以上の事は知らないし、知る由もない。

 1964年のオリンピックを当時のブランテージ会長が東京で開催したいと提案した時にそれに当初は反対し最後には了承して決め手となったのは、ヨーロッパの貴族たちだった。

 オリンピックを再興させるために走り回ったのはクーベルタン男爵だが、日本では「男爵」は爵位の中で最も位が低い。ヨーロッパでもそうなのかは分からないが、より上位の爵位の貴族仲間は「男爵クラス」に走りまわせて、それを楽しんでいたのではないのだろうか?

 

 今回のオリンピックにこれをあてはめると、貴族への仲間入りという高望みを持ったバッハ会長を汚れ役にして、ヨーロッパの貴族たちは自分の手は汚さずに楽しもうとしているのではないか?

 私が分かるのは、「ヨーロッパの貴族」といっても金銭面では千差万別だということだ。たとえば彼らが所為有する「古城」を売りに出すのは、城の維持管理費を負担しきれないからだ。不動産の面で最も目立つ金持ちである貴族はイギリスではグロブナー家だ。但し英王室はけた違いである。

 こんにちでは大半が気ぐらいだけは高い貧乏貴族か、あるいは貧乏とまではいかないが気ぐらいに見合った財産や収入がない貴族なのだろう。それでも階級(クラス)意識は非常に根深く持っているようで、アメリカ人のメーガン妃はが耐えられなかったものもこれと同じ差別感だったのだろう。

 その「気ぐらい」に見合って許された、数少ない話が「オリンピック」への無形の影響力なのではと勘ぐっているわけだ。

 この見方が当たっているのかどうか、どなたか解説してもらえないだろうか。「日本の皇族が訪問した時には手厚くもてなされた」などという表面的な話はどうでもいい。

 

 こういう文脈で見れば、東京招致決定の際に高円宮妃のスピーチが滝川クリステルの「オモテナシ」より実は遥かに重要だったという話も実によく了解できる。

 新型肺炎下でのオリンピックも日本の皇室も、彼らにとって「気ぐらい」をくすぐる絶好の材料なのだ。バッハ会長は彼らにへつらい、自分が貴族の仲間として遇される事を望み、サル回し役になり日本人や日本の皇族を「土豪のサル」のように操つろうとしているわけだ。東京と広島はサル回し用の舞台だった。

 

 以上、繰り返すが、本稿は私の妄想だ。

 間違いがないのは、バッハ氏のせいで私はドイツ人がすっかり大嫌いになったということだ。たぶん多くの日本人もドイツ人を大嫌いになっていることだろう。