「HDB」

 シンガポールの住宅政策は世界で最もうまく機能しているとされているが、その中心となるのが政府の「HDB(住宅開発庁)」という部局が供給してきた高層住宅である。これらは基本的には5年間の転売禁止付きの99年間リースとして販売され、外人は購入できない。国民の80%がこの通称「HDB」と呼ばれる高層住宅に住んでいる。

 

 HDBという仕組みが機能するようになったきっかけは1961年に起きた大火災だ。シンガポールは良港があったため、以前から中国人、マレー人、インド人等が流入し、いくつものスラムが形成されていた。政府が住宅問題解決のためにHDBを設置したその翌年にサッカー場8面分を焼失させる大火災が起き、1.6万人がスラムの家を失った。

 

 HDBはこれらの住人を一時、焼け跡から立ち退かせてその跡地に4万人が住めるマンション団地を建設した。この開発の成功を目の当りに見て、シンガポール人たちは政府の住宅政策を信用するようになった。HDBは再開発を予定するスラムから住民を移転させ、町を順繰りに高層マンション化していったのだ。

 

 HDBが供給する住宅は決して華美なものではないが、安づくりでもない。基本的な仕様はきっちりと押さえられ、何よりもメンテナンスに十分なお金がかけられている。「公的住宅」というと低所得者向けの社会福祉政策的な面がある国が多い中で、HDBの住宅は値上がりを期待できる良質な物だ。居住者も自分の住戸を大切にし、インテリアデザイナーに頼んで内装を高級な仕上げに変える人もいる。

 

 ちなみにシンガポールには民間のデベによるマンションもあるのだがHDBよりかなりラグジュアリーで、これに興味を持つのは一部の富裕層だけだ。しかし外人による購入が可能なので、特に中国人の間で人気が高い。販売状況は景気の重要なバロメーターでもある。

 

 もう一つ、同国で特徴的な住宅は「バンガロー」と呼ばれるイギリスの植民地時代に建てられた豪勢な戸建て住宅群だ。約500棟が残っていてうち特に立派なものは20数戸とされる。過去にあった売り出し価格中での最高額は2.18億S$(168億円)である。

 

 バンガローも今は外人による取得は認められない。私が勤務していた三井不動産はこの外人の保有制限がかかる前の昭和50年代まで特上クラスの大豪邸を投資用に所有、空き家としておくのもなんなので歴代の現地駐在員のトップの社宅としていた。彼らは「社宅に住んでいる」というよりも「社長業と大豪邸の管理人を兼業している」状態であった。

 

                          ジャパン・トランスナショナル 坪田

 

週刊住宅 2020年8月17日号掲載