「おあいそ」のWebでの説明が「野暮」なのばかりなのか、私が「野暮」なのか

 Webの検索で出てくる「おあいそ」についてのいろいろな人の説明って本当なのだろうか? 私の認識と違い過ぎる。

 

 まず大前提だが「おあいそ」というのは江戸っ子の庶民文化の一部として使われ始めた。

 

 私は日本橋室町の不動産会社で建売用の用地確保の担当をした時期がある。多くはかなり込み入った共同事業の交渉だった。昭和50年代中盤のことだ。

 そのうち、私は先方へ何回も行くのが面倒になった。営業先(用地所有会社)は丸の内とか赤坂とそれほど遠くない距離なのだが、面倒になってしまったのだ。

 「当方までいらしていただき打ち合わせの後、本場で江戸の寿司かウナギでもどうですか」とお誘いするとどなたも喜んで来てくれた。当方としては出向かなくてすむのでこれは実に楽なパターンであった。

 

 「寿司(矢の根)」と「ウナギ(いづもや)」と「そば+和食(利休庵)」が定番となった。いずれも「小部屋」があり、話がもれないからだ。どこも非常においしいく、値段が手ごろだった。

 やがて課内打ち合わせも矢の根で行うようになった。寿司ばっかり食べていた。

 この時に先輩にしつけられたのが「矢の根で店を出る時には『おあいそ』というもんだ」という話だ。

 

 「おあいそ」というのは「(お前さんなんかには)お愛想づかしだよ」の略だと教わった。

 

 日本橋には昔、魚河岸があり、江戸前の魚はここで上がり「江戸前の寿司」が誕生、界隈には屋台の寿司屋が立ち並んだ。

 

 客が帰りしなに「(お前さんなんかには)お愛想づかしだよ」というのはそのまま訳せば、「お前さんの出した寿司はネタもにぎる腕前も大したことはなかったので、もう愛想をつかしたよ(だから二度と来ないよ)」となる。

 しかし実際は、「いつもごちそう様、また来るよ」の意味なのだ。京都言葉のレトリックはまだ残っているが、江戸言葉のこのレトリックはもう残っていない。しいて言えば「粋(いき)」の範疇に入るのかもしれない。

 

 こういうやりとりを理解できない人間は、江戸っ子からは「野暮」とされ、Webでの説明は「野暮だらけ」という事になる。

 

 Webの現代風「おあいそ」の解釈を知らなかった私は、今でも寿司屋を出る時には「おあいそ」と板前さんへの感謝を込めて大きな声で言っている。

もしかすると、これ、今の流儀だと「野暮」だったんだろうか。

 

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