「テレワークにより中間管理職が淘汰される」とか「在宅勤務礼賛」というような、あまりに幼稚な説

 表題のようなテーマでの目に付く話がちょっと幼稚すぎる。以下はこの問題への私見だが、これが正しいというわけでもない。あくまで私見であり、世界もまだ模索中だ。

 

 まず「日本の企業で中間管理職が果たしている重要性」については、20数年前に「リエンジニアリング」という業務改革手法がアメリカから上陸したときだったと思うが、日本の経営学者も交えてとっくに決着がついている。

 要するに「日本の中間管理職」は思われているよりもはるかに重要な役目をしているという話だ。経営学の教科書にはたぶんもうどこかに書いてあると思う。

 

 日本の企業の生産性の低さを余剰な中間管理職に求めるのも、単純すぎる議論だ。

 そもそも「企業の生産性が低い」状態をなぜ問題視するのかという点から、議論がある。「生産性が低い原因が人件費が多いことにある」のなら、それは「株主利益を削って従業員に配分している」状態だ。

 「従業員への配分を減らして株主利益を増やせ」というのはまさにここ数年、アメリカで大変な反駁にあっている、「1%対99%」の問題だ。

 結論を言えば、「人件費を削って生産性をあげ、増えた利益を株主なり投資家・経営者に帰属させた方が世の中は良くなる」という説はとんでもない大ウソだったのだ。失敗したこんな話を日本でわざわざ真似る必要なんて、どこにあるのだろうか?

 

 私は不動産デベに約40年つとめた。「デベロップメント」を進めるのは、一義的には担当チームだ。地主、役所、ゼネコン、近隣ほか各所を調整しながら2、3人の担当チームで進める。これが在宅勤務でできるわけはない。Zoomでサッカーをやろうとするようなものだ。

 プロジェクトを進める際にもっと重要なのは「プロジェクトを進めたい」という「意思・意欲」だったように思う。この「意思・意欲」は往々にしてだれてしまう。その時、中間管理職は部下であるチームのケツを叩く。だから彼らは普段は一見、ひまでいいのだ。

 

 「在宅勤務」に関する議論は、日本はアメリカの1ヶ月半遅れだ。

 アメリカではロックダウン当初、在宅勤務礼賛の話ばかりだった。

 5月に入ってからだろうか、「いい事だらけではない」という話が出始め、今はメリットとデメリットを比較して論じる記事だけになった。どのメディアでも議論は混迷状態だ。

 根底に流れるのは「今までのやり方はそれなりにうまく行っていた」であり、「在宅勤務は成功するかも知れないが機能しないかもしれない。もしうまく機能しなかった場合には取り返しようがない失敗となるかも知れない」だ。それでもトライする価値があるかどうかが議論の中心だ。

 

 リモート勤務(在宅勤務)を進めるとした会社にフェイスブックがあり、今後5-10年で従業員の半数をリモート勤務化するとした。

 これは実はフェイスブックの高過ぎる給与問題の解決手段のようで、在宅勤務による業務改善が主目的ではない。同社のCEOが「生計費が安い地方都市からリモート勤務する場合にはサラリーは下げる」とした事から、そう理解されている。

 フェイスブックの社員の平均年齢は29才だが年収のメディアンは24万$(2570万円)もある。同社は西海岸の大手IT会社のおきて破りの高給で社員を集めていた。無競争の時代がいつまでも続くわけがなく、いずれ「旬」を過ぎれば、同社の今の高給は維持できない。

 

 日本での在宅勤務の可能性だが、短期間、当座ならなんとでもなる。しかし1年か2年、在宅勤務を続ければ、自分はいつでも「置き換え可能なんだ」と気づき心細くなるだろう。

 会社という組織、特に大会社ではどんな人間でも「彼しかできない」という状態が起きないようにするものなのだ。「彼なしでは組織が立ち行かなくなる」という状態は、彼が退社する可能性を考えれば、あまりにリスクが高すぎる。

 したがってオフィスで働こうが、在宅勤務で働こうが、会社組織に属している人間はみな、「置き換え可能」なのだが、問題はどちらの方が置き換えられてしまうリスクがより少さいかだろう。

 これはオフィスで仕事をしていた方が、圧倒的にリスクが小さい。面前なので情が移るという点もあるが、オフィスで働く人間は本来業務以外の面でもさまざまな貢献を集団内で行い、組織のすきまを見つけてその潤滑油になったり、インフォーマルな組織を通じて表の組織にも貢献する。これは社会学と経営学の境界領域の話なのではないかと思う。

 「在宅勤務者」はこれらができず、「業務」しかできない。すなわち簡単に置き換え可能な存在になってしまうのだ。

 「業務上の指揮命令」が不完全であることはよくあるのが当然で、これには通常は何人かが集まって修正して対処する。こういう事態において対面で相談するやりとりはZoomなどでは処理速度が遅すぎる。言い換えれば「リモートワーク」で業務を行う時は、「指揮命令」に間違いがなく完璧である必要がある。こんなの、私が知る限り、日本の企業文化では無理な要求だ。

 本当に創造的な仕事も同様で、スティーブジョブスはあくまで「対面」にこだわった。もちろんZoomにも良い所は多々あり、軌道に乗った仕事の事務連絡や調整程度等には明らかに役に立つし、優位だ。しかし随分と欠陥が多いコミュニケーション手段でもある。脳と脳がバチバチやりあうようなコミュニケーションにはZoomは使えない。いずれ「こんなものに頼っていてはだめだ」という話が出てくるだろう。 

 

 ただ私も「企業」を離れて数年たち、古巣を見るとこの間にずいぶんと変わった。たとえば昔で言う「課長クラス」の数が随分少なくなり、「部長クラス」が増えている。また管理職への登用速度も遅くなっている。もしかすると「新しい経営学」が必要なのかも知れない。

 企業の人材活用という点で、「中間管理職」の問題よりもっと重要なのは「60-65才までの人間」の方ではないかと思う。高齢者に生産により効率的に寄与してもらう方法については私なりのアイデアがあるのだが、別稿にする。

 

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