三菱地所との合ハイは成立したことも不思議だが、やはりうまくいかなかった

 私が勤務していた会社も三菱地所もどちらもが業界のリーダーだと自任していた。敵愾心を最も強く持ち合っていたのは両社とも最長老のお二人で、彼らは半世紀以上、相手を「コノヤロー」と思い続けていたわけだ。私も担当していた土地の件で先方へ伺って戻られた時、当方の長老は「だめだ、あのクソジジイ」と吐き捨てるように言った。私はこの言い方のおかげでこの物件についてあきらめがついたものだ。

 それでもお二人は各種の式典や業界団体の催しで顔を合わせた時は普通に、ごくにこやかにあいさつをされ、業界の両雄のこんな話が外部の物笑いのたねにされたことはなかった。

 

 そんな三菱地所の若手男性社員と当社の若手女性社員が合ハイをしたのは、昭和62年か63年だったと記憶する。何でこんな無理な合ハイの話が成立したのかまでは知らない。もしカップルができて結婚とでもなっていたら、披露宴の余興は大変なことになっていたはずだ。「会社の同僚による余興」のコーナーで相手に負けるなと秘密資金が両社から出、出演者は残業を免除されて大道具の製作にあたり、ねぶたかバラエティ番組並みのセットが登場していたと思う。

 

 ところで、「合ハイ」というのは「合同ハイキング」の略で、「男性グループ」と「女性グループ」が双方の幹事・代表を立てて日程やハイキングのルートやおおよその参加人数を調整し、それぞれが参加メンバーを集めて当日にいどむという企画だ。山道で数時間は一緒に過ごすわけで、カップルができる確率はかなり高かった。

 ハイキングの後にみんなで打ち上げとしてやる飲み会が「合コン」、すなわち「合同コンパ」だった。後には「合コン」だけをやるようになったのだが、昭和のこのころでもまだ一部に「合ハイの後の合コン」という建前が残っていたのかも知れない。両社とも、伝統ある会社でもあるし。

 

 私がいた部に配属されてきた新入社員の女性はあまりにも予想外の反応をし、変なことを言い出したりするので、彼女は「プッツン」だとされた。ある時、銀座の行きつけのクラブでみんなで飲んでいると、隣のテーブルの男性の名字がそのプッツンと同じで、さらに「娘が今年、某大手財閥系不動産に就職した」と当方の勤務先の名をあげている。それまでこの店では例のプッツンのいろいろな話でよく盛り上がっていたのだが、以降、この店では彼女の話はしないようにした。

 課長が人事部に聞きに行くと、「分かりましたか。実は彼女は今年の女子新入社員の中の三大プッツンの一人なんです。」とのことだった。

 コネを使って入社しようという男の学生(総合職)の場合はペーパーテストで成績が悪かったことにして落してしまう。仲介者のメンツ等への配慮もあり、面接に進む前にこうして早めに切ってしまうのだ。しかし女性の場合にはこういうプッツンがまぎれこむことがある。

 

 その彼女が三菱地所との若手との合ハイに参加したわけだ。盛り上がらなかったというか、かなり悲惨でみじめな合ハイになったらしかった。

 

 彼女いわく、ハイキングの途中で「日本一の不動産会社は『三菱地所』だよな」という声が聞こえてきて、これで女性陣が「なによ」という感じになり、雰囲気が決定的に悪くなったのだそうだ。

 彼女たちの愛社心に、私たちは何も言えなくなってしまったのだった。

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