マスコミでは語られていない「バブル」初の消費税と経理マン

 日本で初めて消費税が施行されたのは1989年4月1日だが、国論を二分する大議論が行われたのは前年だ。もめにもめた末、1988年12月24日の国会で消費税法が成立した。

 

 この1988年という年は社会を揺るがす大きな事件が相次いだ。

 

 当初、川崎市の助役に対するローカルな贈収賄事件かと思われていたリクルート事件は日を追うごとに拡大、一大疑獄事件となった。その拡大のさ中、横須賀沖で自衛隊の潜水艦「なだしお」が遊漁船(釣り船)と衝突して死者30名を出し、自衛隊はすっかり悪者になった。野党は「消費税、リクルート、なだしお」を三点セットにして街頭で連呼していた。

 景気はバブルの7合目くらいに達し、仕事も飲み食いも滅茶苦茶に忙しい中、昭和天皇のご容体が抜き差しならぬものらしいという話も伝わってきた。

 

 そのような中、大蔵省はなんとか消費税を導入しようと必死だった。例えば消費税の申告書式がいかに簡単で、これに決算書を添付するだけで済むのだとやたらに強調していた。これは明らかに世の税務申告の実務を担当する経理マン・経理ウーマンの反発を防ぐための説明だった。

 なにか腑に落ちない物を感じながらも多くの経理マンは油断、日常業務、例えばバブルの為に予定より膨れ上がりそうな利益をいかにして翌期に回すか等を考える事で忙しかった。

 

 経理マンは世の中での消費税の大議論からも距離を置いていた。世界における消費税類似の税制の種類や仕組みの話にも、日本の税収構造の問題点にも興味はなかった。我が社の場合がどうなるかだけが気になっていたのだが、まだ本腰を入れての勉強はしていなかった。

 というのも、それまでに1979年に「一般消費税」、1987年に「売上税」と二回、大議論の末に流れ、1989年の「消費税」は三度目の正直だったのだ。また流れる可能性があり、導入が確定してから本気で勉強・対応しようというのが経理マンたち共通の姿勢だった。

 

 そして年末モードで気ぜわしい中、消費税法は12月24日の国会で本決まりとなり、ほどなく世の中は正月休みに入った。

 

 この正月休み中に世の中の経理マンたちはみな、これはえらいことであるという事にほぼ同時に気が付いた。まだかなり先である消費税の「申告時」までになんとかすればいいのだろうと思っていたのだがとんでもない、4月1日の伝票から経理システムを変えておかなければいけない。それをせずに申告時に集計しようとすれば、絶望的な手間がかかるという事に気が付いた訳だ。残された時間はわずか3か月で、時間的余裕はあまりにも少なかった。

 

 年明け早々の会議では経理課長が「システムの変更は間に合うんだろうな」とどなれば、システム課長は「計算式を示してくれなければシステムの変更はできない」とどなりかえす。

 私が担当していた子会社は手書きの伝票で処理をしていた会社なので、手間が少ない内税方式で行うと言ったら、経理課長から「それじゃあ連結で消去できないだろ」とこれまたどならなれた。

 

 年明けの経理マン達はみな殺気立っていた。セミナー会社の消費税セミナーは受講者多数のため体育館のような会場で二回にわたって行われ、質問をしたある男性は「それでは右と左が1円合わない」と講師に執拗に食い下がっていた。通常のセミナーとは全く異なる雰囲気だった。

 

 日本の経理マンもシステムマンもすごいと思うのは、3か月しかなかったというのにこんな状況の中でなんとか「消費税導入」をこなしてしまったことだ。

 

 今回は10%と軽減税率8%が混在するので面倒だと思うが、世の中の現役の経理マンとシステムマン、頑張ってください。