「オリエンタルランド」という社名を名付けたのは船橋ヘルスセンターの丹澤善利氏

 「この人がいなければ東京ディズニーランドは実現しなかった」という人を6人に絞ってみた。

 

 高橋政友氏、加賀見俊夫氏(以上、オリエンタルランド)、江戸英雄氏、南川順一氏(以上、三井不動産)、川崎千春氏(京成電鉄)、丹澤善利氏(朝日土地興業)だ。

 

 最初の主役は丹澤善利氏(朝日土地興業)である。昭和中期に一世を風靡した「船橋ヘルスセンター」で成功した毀誉褒貶の激しい稀代の実業家だ。

 彼は千葉県船橋地先の埋め立て事業で成功していた。浦安地先でも遠浅の広大な海を埋め立てて「東洋一の遊園地を作る」として千葉県を説得、そのための会社を作り「オリエンタルランド」という社名にした。

 「東洋一」、これがたぶん丹澤氏がつけた同社の社名の由来と考えて間違いはないだろう。

 

 この巨大遊園地案について「ディズニーランド」というビジョンを明確に持ったのは、川崎千春氏(京成電鉄)だ。川崎千春氏と丹澤善利氏は埋め立て事業に強かった江戸英雄氏(三井不動産)にも参画を求めた。

 江戸英雄氏は当初、この話には全く乗り気でなく幾度も断っていたのだが、丹澤善利氏の執拗な懇請に根負けして参加を決意した。よってオリエンタルランドの埋め立て事業は朝日土地興業と京成電鉄と三井不動産の三社が主要株主となってスタートする。

 

 ところがここから先、東京ディズニーランド実現までは非常に複雑怪奇な道のりをたどる。中でも丹澤善利氏がいくつかの疑獄事件の中心的人物として信用を失い朝日土地興業が初期の段階で倒産、脱落してしまったことと、いざ巨額の本体建設工事に着工という段階で旗振り役だった京成電鉄が経営難に陥ってしまい、運輸省により東京ディズニーランド事業への関与を止めさせられたことは想定外の大事件だった。

 

 その結果、昭和50年代中盤、東京ディズニーランドは三井不動産単独の超巨額の信用供与無くしては前に進まない状態に陥った。

 三井不動産社内では激論が起きた。「遊園地事業」は極端な水物と見られていたのだ。

 会長の江戸英雄氏は推進派、社長の坪井東氏は反対派で、このような中で江戸英雄氏の意を受けて(=社長の意に反して)、ディズニーランド実現を進めたのが三井不動産の担当部長だった南川順一氏だ。

 

 この時に南川順一氏が一歩かじ取りを間違えれば三井不動産社内の反対派を抑えきれず、ディズニーランド計画は空中分解していた。

 

 それはともかくオリエンタルランドの高橋政友氏は父君が台湾総督という大変な家柄であり、また問題なく東京ディズニーランド実現の最大の功労者で、浪人中の身から三井不動産の江戸英雄氏の引きでオリエンタルランドのトップとなった。当初の任務は埋め立て事業だった。

 豪胆にして剛腹、支配会社の三井不動産に頭を下げないどころか各所で社長の坪井東氏氏に対する強烈な悪口を繰り返し公言、感情を逆なでにする。

 

 高橋政友氏の奔放な悪口の公言は、あることをきっかけに後の昭和60年代に江戸英雄氏から「これを最後にして、もう坪井君の悪口は言うな」と言われるまで続いた。高橋政友氏にとって江戸英雄氏は頭が上がらない親分だったので、以降、彼は坪井東氏の悪口は一切公言しなくなった。

 

(ちなみに前記の『あること』とは朝日新聞から高橋氏あてにあったビジネス口述筆記のオファーだ。高橋氏は江戸氏に、『坪井氏の悪口を思い存分言う』と断りに来た。江戸氏は『君の事だから言うなと言っても言うだろうから今回は止めない。しかしこれを最後に・・』としたのだった。高橋氏は坪井東氏への悪口をたっぷり筆記記事にしたためたのち、江戸氏の命に従った。

 これだけが理由という話ではないが、以降三井不動産はオリエンタルランドの新規上場に積極的に協力するなど、両社の関係は正常化へ向かった。)

 

 このように着工に向けて極度に難しい局面が続く中、オリエンタルランドが三井不動産との関係を何とか維持できたのは、同社の現会長である加賀見俊夫氏の功績だ。

 加賀見氏は常人ならとっくに投げ出す幾つもの局面で我慢と自重を重ね、各所を粘り強く調整し、決断し、プラス常人には御しがたいキャラである高橋政友氏を親分として慕い、尊敬しながらも上手に誘導していた。

 オリエンタルランドという会社にとって、高橋政友氏と加賀見俊夫氏はセットにして語らなければいけない存在だった。

 

 上記6人に追加して3人をあげれば、千葉県の川上紀一知事と沼田武副知事、日本興業銀行の菅谷隆介副頭取があげられる。

(以上の話は「東京ディズニーランド」の話であり、「東京ディズニーシー」は全く異なるストーリーで誕生するにいたっている。)

 

 日本人に新たな幸せの形を提供するようになったこのビッグプロジェクトは、奇跡のような巡りあわせで実現したのだ。