タロいも畑の売買の決済にも使われていた「ヤップ島の石貨」(3)

島民は日用品や食料品の売買については米ドルを使っていた。

 

しかし彼らが重要と考える取引の際には石貨を使っていた。

取引により石貨の持ち主が変わっても、石貨は置いてあった場所にそのまま置かれる。

しかし全島民が、その石貨についての持ち主が変わった事を認識している。

 これは現代の「不動産登記」よりよほどしっかりしたシステムなのではないか?

 

いまだに石貨を使う事について、島民はこう言う。

 

「昔はドイツ人が来て、『マルク』を使え、といった。

ドイツ人が去って日本人が来てマルクはダメだ、『円』を使え、といった。

今はアメリカ人が来て『ドル』を使えといっている」

 

ある島民が石貨をアメリカ人が開いた銀行に持ち込み、(試に)「預金したい」と言った。支店長は「無利子でいいなら」と言ってこれを預かり、支店長室に飾った。

 

石貨は経済の教科書でもある。

 ドイツが占領した時に石貨の流通を禁止したら、島はひどいデフレに陥ってしまった。

 

オランダ人の商人の「オキーフ」は近代的な工具で石貨を大量生産した。

 

すると通貨供給量が増え、島はインフレに襲われてしまった。

酋長たちは集まり、オキーフが作った石貨には価値が無い事とすると決めた。

近代的な工具で回転させながら削った表面には丸いすじがたくさんついている。

手ノミで削った石貨とオキーフが製造した石貨は簡単に見分けがついた。

後者には「思い」が込められていないので、価値が無いと申し合わせたわけだ。

 

通貨供給量を絞ったおかげでインフレは収まった。

 

オキーフからは、ヤップ島に隣接する小島のヤシの実(ヤシ油が採れる)を全て与える事で了解を得た。