2016年2月のブログ

ドトールで「チャーシューメン」を注文しそうになった

 糖質ダイエット自慢をしていた人が急に亡くなったり、

 ビールの「プリン体オフ」にはあまり意味がないと改めて新聞に出たり・・・

 

 「糖質ダイエット」は一時、実践していた。

 確か、1か月くらいは、お米もパンも食べていなかったと思う。

 いつのまにか、普通の食事に戻ってしまったのだが、命拾いだったのかもしれない。

 

 ビールはある時期、「プリン体オフ」を前面に押し出していた発泡酒だけを飲んでいた。

 人間ドックでバッテンが出て、当時の勤め先の産業医の先生と面談。

 「尿酸値が気になるので、『プリン体オフ』を飲むようにしている」と話をしたら・・・

 

 先生、困った顔をして「あれは『売り方』なんです」と意味不明の事をおっしゃる。

 よく聞くと、要するにビール(発泡酒)にプリン体が含まれていなくても、

 アルコールを飲んでいて、且つしかるべき量の運動をしなければ、尿酸はやはりできてしまうのだそうだ。

 

 つまり「プリン体オフ」には「プリン体」が含まれていない点では事実。しかし、

 CMでもパッケージでも、これにより「尿酸を気にする方によい」とは言っていない。

 痛風を予防するならば、「プリン体オフ」を飲んでも運動しなければだめだと言われた。

 

 これでは「養命酒」の方がよさそうだ。

 

 食べ物えらびも難しい時代になった(そういう『トシ』になった?)のだ。

 そんなある日、お昼に「チャーシューメン」を食べた。

 場所は、ラーメンの激戦地、日吉。その中でも人気の店。

 

 店を出て、「チャーシューメン」はでんぷんとタンパク質と油とあと何かなと考えながら

 コーヒーチェーンの「ドトール」でお茶を飲む事にした。

 

 「ブレンド」と言うべきところを、あわや「チャーシューメン」と言いかけた。

 トシだ!!

 気を付けよう。

 

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濱中博久アナはEテレにはめられていた?(ストレッチについて)

 

 「はめられていた」と言っても、そんなにおどろおどろしい話ではない。

 

 NHKのEテレ、「今日の健康(月-木:PM8:30-45)」の話しだ。

 

 たぶん、去年の四月だと思うが、濱中博久アナ、NHKを退職された。

 (テレビから受けるご性格の印象からいって、円満退社だったと思います。)

 

 それと同時に、「今日の健康」、めっきり「ストレッチ」が減ったのだ。

 

 「減った」どころか、皆無ではないでしょうか。

 

 濱中アナの時代、彼は年がら年中、カメラの前でストレッチを手本としてやらされていた。

 中には「よつんばいの姿勢から右手と左足を水平にまっすぐ伸ばす」というような、かなり難度が高いのも含まれていた。

 

 他にも見るからに大変そうなものが多くあり、視聴者の側も冷や冷やしていたのだ。

 

 別に桜井洋子アナにも「ストレッチ」をさせるべきだと言っている訳ではない。

 

 ましてや、南沢奈保ちゃんを呼んでやらせろと言うような無理を言うつもりもない。

 

 桜井洋子アナがストレッチをしなくて済むのは、取り上げる「病気」のせいだ。

 

 肝臓病とか、抗がん剤とか、脳腫瘍とか、素人的に考えてストレッチとは無縁そうだ。

 

 そこで「濱中博久アナはNHK・Eテレにはめられていた?」という疑惑が浮上する。

 

 Eテレは、彼の在職中に「ストレッチが必要な病気」を集中的に集めて、「きょうの健康」で取り上げていたのではないか?

 

 彼の退職後、桜井アナがストレッチを手本としてしなくても済むように・・・・。

 

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タロいも畑の売買の決済にも使われていた「ヤップ島の石貨」(4)

 タロいも畑(=私のドメインである「不動産」)も石貨の売買の対象物だと知り・・・

 私はそろそろこの「知的好奇心の趣くままに始めた旅」を終え、日常に戻るべきころだと考えた。

 

 私にはヤップ島に行くヒマ(直行便はなかった)もお金もなかった。

 

 40才を過ぎた時に初めて垣間見た「文化人類学」の世界は、あまりに魅力的だった。

 

 私が当時、属していた不動産会社のインハウスの研究所は、設立からまだ間がなかった。

 こんな悠長な話も、短い間なら「テーマ」にして調べる余裕があった。

 所長は理解のある人だからだったが、いつまでもそれに甘えている訳にもいかなかった。

 

 ヤップ島の島民の方と電話で話した。

 彼は手慣れた様子で、「石貨」をヤップ島民はどう見ているか、話してくれた。

 

 彼は「この手の質問はさんざんされてきて、慣れているんだ」と言いたげでもあった。

 文献類からみても、すでに多くの先達がこの奇妙なお金のことを調べていた。

 

 「知的で冒険的な航海」としては丁度、心地よい程度の長さでもあった。

 

 最後に、日本でヤップ島の石貨の現物を見る事が出来る場所を記しておこう。

 

 日銀貨幣博物館   東京都中央区・日銀の本館の向かい側

 日比谷公園      小音楽堂の裏手

 大阪民俗学博物館 カヌーも展示されているほか、ビデオにも一部登場する。

 

 あとは日本人で、ヤップ島ゆかりの個人が若干を持ち帰っている。

 

 私がお会いした人はヤップ島で飛行場造成と埋立工事に参加していた。

 船で行ったため、重くてかさばる物でも持ち帰る事ができ、何人かが小型の石貨を頂戴してきたのだそうだ。

 現物は自宅の庭にあり、時々バーベキューの台で使っているとおっしゃっていた。

 

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タロいも畑の売買の決済にも使われていた「ヤップ島の石貨」(3)

 島民は日用品や食料品の売買については米ドルを使っていた。

 

 しかし彼らが重要と考える取引の際には石貨を使っていた。

 取引により石貨の持ち主が変わっても、石貨は置いてあった場所にそのまま置かれる。

 しかし全島民が、その石貨についての持ち主が変わった事を認識している。

 

 これは現代の「不動産登記」よりよほどしっかりしたシステムなのではないか?

 

 いまだに石貨を使う事について、島民はこう言う。

 

 「昔はドイツ人が来て、『マルク』を使え、といった。

 ドイツ人が去って日本人が来てマルクはダメだ、『円』を使え、といった。

 今はアメリカ人が来て『ドル』を使えといっている」

 

 ある島民が石貨をアメリカ人が開いた銀行に持ち込み、(試に)「預金したい」と言った。

 支店長は「無利子でいいなら」と言ってこれを預かり、支店長室に飾った。

 

 石貨は経済の教科書でもある。

 

 ドイツが占領した時に石貨の流通を禁止したら、島はひどいデフレに陥ってしまった。

 

 オランダ人の商人の「オキーフ」は近代的な工具で石貨を大量生産した。

 すると通貨供給量が増え、島はインフレに襲われてしまった。

 

 酋長たちは集まり、オキーフが作った石貨には価値が無い事とすると決めた。

 近代的な工具で回転させながら削った表面には丸いすじがたくさんついている。

 手ノミで削った石貨とオキーフが製造した石貨は簡単に見分けがついた。

 後者には「思い」が込められていないので、価値が無いと申し合わせたわけだ。

 

 通貨供給量を絞ったおかげでインフレは収まった。

 オキーフからは、ヤップ島に隣接する小島のヤシの実(ヤシ油が採れる)を全て与える事で了解を得た。

 

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タロいも畑の売買の決済にも使われていた「ヤップ島の石貨」(2)

 ヤップ島にある石貨の数は2万個から4万個とされていた。

 

 その全てが約400キロ離れたパラオからカヌーで運ばれてきたものだ。

 

 小さい物で直径20~30センチ、最も大きい物は直径3メートル以上。

 目に付く典型的な物は直径1~1.5メートルで、家の壁にたて掛けてあったり、道ばたの木にたて掛けてあったりするようだ。

 

 集落のハズレには大型の石貨を並べた一画があり、これは「ストーンマネー・バンク(石貨銀行)」と呼ばれている。

 

 私はこれらを幾つかの「文献」で見ただけだ。

ヤップ島を訪れるチャンスはとうとうなかった。

 

「文献」の中には戦後、同島に赴任したアメリカ人の教師が地元の中学生に書かせた「ストーンマネー(石貨)」に関する分厚いレポートもあった。

 

 「『お金』についてレポートを書け」と言われると、誰でも困るだろう。

 そのような戸惑いの感情が各所にみられる、素朴なレポートだった。

 

 石貨は大きいほど価値があるという訳ではない。

 実際、島民が共有認識として「最も価値がある」信じている物は、最大の石貨ではない。

 

 石貨が使われる取引は限定的だ。

 なんらかの「感謝の念」を示す事が必要な時に用いられるのだ。

 

 家の建築費、カヌーの建造費、花嫁の家側から花婿の家側に対する謝礼(花婿の側からは貝の貨幣が支払われる)、病気を治してくれたお礼・・・

 

 そしてなんと「タロいも畑の売買」・・・

 

 ここに至り、私の直感は一致した。

 私のドメインである「不動産」は「お金」そのものと原初的な形で結びついていたのだ。

 

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タロいも畑の売買の決済にも使われていた「ヤップ島の石貨」(1)

 1995年当時、私は不動産会社の、出来て間がないインハウスの研究所の研究員だった。

 私は「土地になぜ、値段が付くのか」を考えていた。

 

 問題は「お金とは何か」にあると考えた。この時、「ヤップ島の石貨」の存在を知った。

 経済学の延長である「貨幣論」と文化人類学の境界領域みたいな話だ。

 

 これから、4回に分けて書く話は、現地も見ずに調べた事項なので、引用にはくれぐれもご注意を。

 

 「石貨」は花崗岩で作るが、ヤップ島では花崗岩は採れない。

 カヌーで約400キロも離れたパラオ島で切り出して、形を整えて持ち帰る。

 

 遠洋の航海自体も危険だが、現地でパラオ人にも襲われる。

 持ち帰った「石貨」には勇気なり思いなりストリーが込められている。

 

 それは島民共通の価値認識となり、「貨幣」と似た機能を持つ。

 

 ただ我々が石貨はふつう、我々が思う「貨幣」とはかなり異なる。

 例えば石貨には「円」とか「ドル」のような通貨単位がない。

 

 最も価値が高い石貨が使われたのは、部族対立の解消の時だったという。

 

 ヤップ島には3つの部族があるが、そのうちの2つが緊張関係に陥っていた。

 何かのはずみで片方の部族の若者がもう片方の部族の若者を殺してしまった。

 

 このままでは2つの部族は全面戦争になりかねない危機にヤップ島は直面した。

 

 この時に問題解決の為に差し出されたのが、「最も価値が高い石貨」だった。

 

 これを「賠償金」と似たような物だと考えてよいだろうか?

 

 第一次世界大戦勃発のきっかけとなった跳ね上がりの民族主義者の行動は、当時のヨーロッパに「石貨」があれば、大陸に吹いた火を火種の段階で消し止めたのでは?

 

 ヤップ島民が共有して持つ石貨に対して持つ価値観を、現代世界は持ち合わせていない。

 戦争回避に成功したこの様な「石貨システム」を、私はうらやむべきだと思う。

 

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