2015年7月のブログ

「群馬のかみなり」と「石垣島のふしぎな雨」

 わたしはアウトドア派ではないので、生きるか死ぬかという天気には出会った事はない。


 だから天気のことでは大したはなしは、書けない。でも書く。


 一つ目の話は群馬県の「草木ダム」での建設工事の実習のために、「大間々」という町に滞在した時のカミナリ。


 これは本当にすごかった。


 がらがらがら、どかどか、どかどかーんっ と一発めが来た。

 てっきり大惨事だとおもったのだが、まわりの人は平然としている。


 さほど間を置く事なく、同じクラスの二発め、三発めがつづけてきた。


 やっとこれがここでは普通のカミナリなのだと知った。


 さらにこれが毎日つづくのにもおどろいた。


 二つ目は、石垣島の「フサキビーチ」という海岸沿いのリゾートホテルで、砂浜に寝そべっていた時のはなし。


 なんとも不思議なふうけいを見た。


 沖合、1キロか2キロのところに、「みずばしら」が立っている。

 はばは推定50メートルくらいだっただろうか。


 よく見ると、どう見ても、この「はば50メートル」の部分だけが雨なのだ。


 夕食でワインをたらふく飲んで、また砂浜でねそべったら寝入ってしまった。


 目が覚めると、夕暮れは満天のほしぞらに変わり、天の川がはっきりと見えた。


 わたしが八重山をだいすきになるきっかけになった。

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お元気そうで何よりです。 クリス・エバートさん

 と言っても、別に知り合いではないのですが。

 

 ウインブルドンの男子シングルス決勝をビデオで見ていたら、一瞬、登場されました。

 

 年はお幾つになられたのだろうか、たぶん62か63だと思う。

 

 彼女の全盛期に当ジャパン・トランスナショナルは硬式テニスを趣味として始めた。

 

 クリス・エバートの当時のニックネームは「テニスの女王」。

 

 打ち方も攻め方も、プレイスタイルはとても優雅なものだった。

 

 というか当時(昭和40年代末)は、テニスプレイヤーはみな優雅だったのだ。

 

 それをぶち壊したのがナブラチロワ。

 

 女性なのに筋肉質で、力まかせに攻めていた。

 

 「優雅」というか「どう猛」で、全然、魅力的には見えなかった。

 

 でもバンバン、クリス・エバートに勝っちゃうんだよね。

 

 ナブラチロワに続く女子選手はますます筋肉質、どう猛、俊敏になっていった。

 

 そして私はついていけなくなり、テニスのプロには興味がなくなった。

 

 だいぶ経って、テニス自体からも遠ざかるようになった。

 

 去年、運動不足解消の為に、市のテニススクールに通い始めた。

 

 先生が教えるのが上手で、結構楽しい。

 

 調子に乗ってEテレの神尾米の「現代テニス」なんて番組も録画して研究している。

 

 テニス、ナブラチロワの時代から、さらに数段、進歩していることがわかりました。

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山口百恵菩薩の家の前で手を合わせて

 先輩が誘ってくれた、その方のご自宅がある国立(くにたち)で飲んだ。

 

 国立と言う町はなぜか縁遠く、足を踏み入れるのは人生でこれが初めて。

 

 「国立」と言えば当然、山口百恵の家。

 谷保駅へ向かう途中、国立郵便局の近くを遠回りして、拝みに行った。

 

 そうだ、「拝みに行った」のだ。

 

 白い豪邸は明かりがすべて消えて、ほんとうに留守のようだった。

 

 先輩は、玄関のブザー(呼び鈴)を押していいのだと言う。

 彼自身、何回か押したことがあり、お手伝いさんが出るのだそうだ。

 

 でもそんなもったいないことはとても出来ない。

 

 当ジャパン・トランスナショナルが思わず何をやったかと言うと・・・

 

 両手を合わせて拝んでしまったのだ。

 

 昔の本だが、「山口百恵は菩薩である」というのを思い出した。

 アマゾンで調べると単行本で4320円(6300円)、文庫本で2020円。

 

 古本にしてはすごい値段だ。 

 思わず買おうかと思ったが、そこまでナニするか?と思い、目が覚めた。

 

 そういえば、以前、旦那の三浦友和氏には失礼な事をしてしまった覚えがある。

 

 ある時、プレゼント贈呈係として主役の座にあった彼に一声かけるチャンスがあり、思わず「今の百恵ちゃんをテレビで見たい」と言ってしまったのだ。

 

 主役だった彼に、失礼な事を言ってしまったものだ。

 

 いろんな思いがぐるぐる回った、夜の国立めぐりでした。

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「電話」が昔のパソコンのように使い方が難しくなった時代

 当ジャパン・トランスナショナルがパソコンと本格的に取り組み始めたのはたしか1993年の事だ。

 情報システム部のサポートを受けて試験的に使ってみる、当時の勤務先社内のオフィシャルユーザー第一号だった。

 

 まだマイクロソフト系では「Windows 1995」の前の、「Windows 3.01」という、場当たりの産物みたいなOSが主流の時代だ。

 

 インターネットのブラウザーは「モザイク」という大学生が趣味で作ったものしかなかった(「モザイク」は後にネットスケープになって現在に至っている)。

 

 この頃のパソコンは、ユーザーがミスしたのか、ソフトのバグなのか、ハードの不出来なのか、それともそもそもそういう仕様なのか、とにかく年がら年中フリーズした。

 ダウンロードには異常に時間がかかり、うたい文句はともかく、実際の仕事の上ではまったく使い物にならない代物だった。

 

 イスラエルの会社製の世界初の商用無料国際電話「インターネット・フォン」は(たぶん)テレクラみたいなソフトで、知人が日本での販売権を取得していた。私はこれを彼から買い、日本での有料ユーザーの第一号となり、時差に合わせて朝早く出社して遊んでいた。

 

 当時、世の中でなぐさめのように言われたのは、「将来、コンピュータは電話やテレビのように簡単に使えるようになる」という言葉だった。

 

 それから数年もすると、この言葉はうそである事が判明した。

 いろいろな機能がついてしましい、「電話」がコンピュータのように難しくなったのだ。

 というより一応、今の若い人に説明しておくと、昔の電話はどの電話も、今の「公衆電話」よりもさらに簡単、単純明快だったのだ。

 「ベルがなったら受話器を取り」、かけたい時は「受話器を持ち上げてダイアルを回す」、機能はそれですべてだったのです!


 「留守録」なんて、かなり後の世の事だ。  

 

 一年前に買ったファックス付きの多機能電話、名刺にはこの番号も刷り込んであるのですが、使い方、いまだに分かりません。

 

 「使いこなせない」というよりはるか以前の問題であり、もうあきらめています。

 

 先月買ったビエラの「4K」テレビ、やたらに取扱説明書が薄っぺらだと思ったら、「操作ガイド」がテレビに内蔵されていて、そのために紙の取り説が薄いのだった。

 

 ところで世の中であれだけ大騒ぎしている「4K」、どうしたら見れるのだろうか。

 

 リモコンには操作ボタンが一杯あり、カバーで隠された隠しボタンもある。

 DVDはともかく、テレビまでがコンピュータみたいになっちゃったわけだ。

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