2014年4月ブログ

半世紀前に「技術・家庭」の授業で作った椅子は、長持ちしていた

 中学時代(東京都渋谷区立上原中学校)の同級生で作っている歌のサークルの先日の練習の際の二次会では、昔話に花が咲いた。


 場所は代々木上原の「大勝軒」。ちなみにこの大勝軒、看板料理の「つけめん」を始め、料理がとてもおいしい。「大勝軒」の本当の本家筋にも極めて近い店なのだ。


 男が4人いて「技術・家庭(男だから「技術」の時間だ)」のおもいで話に花が咲いた。


 50年前の授業で「椅子」を作ったのだが、4人のうち3人が今でも現役で使ってる。


 どこかへ行っちゃたのは当ジャパン・トランスナショナルだけだった。


 単純な構造の、武骨な椅子だが、使われているシチュエーションは様々だ。


 玄関わきでちょこっと物をおいたりとか、母親が重宝していたりとかだ。


 とにかくちょうど半世紀前につくったのだから、椅子としてはえらい長寿だ。


 サイズ的には、大人用より一回り半ほど小さかった。座るには小さすぎる代物だ。


 どうやって作ったかは覚えていないのだが、三角定規やノコギリなどを使って作ったのだと思う。非常に丈夫な作りで、あれならたしかに長持ちしそうだ。


 中学校に入学した時に最初に作ったのが「花瓶敷き」だったことも、全員が覚えていた。

 7センチはばぐらいの2枚の板を、少しずらしたデザインだった。

 紙やすりでけずって、ニスを塗ってしあげたんだろうな、きっと。


 4人とも「椅子」、「花瓶敷き」、両方ともの形や色合いを鮮明に思い出した。


 ゲルマニウムラジオ(鉱石ラジオ)も作った覚えがあるのだが、こっちの方は形やどんなものだったか、だれも覚えていなかった。


 人間の記憶っておもしろいものだ。ひょんなことで50年前の記憶がよみがえるのだ。


 あだなが「イトマン」だった、沖縄出身だった糸満(いとみつ)先生、お元気でしょうか?

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素晴らしかったEテレ、「団塊スタイル」の小椋佳

 Eテレで毎週見ている番組に「団塊スタイル」がある。
 タイトルどおり、団塊の世代向けのシニア番組だ。


 当ジャパン・トランスナショナルはちょっと若いが、まあ「団塊」とは似たような物だ。


 この間のゲストは、小椋佳だった。


 これが素晴らしかった。


 何が素晴らしいって、番組としてもそうだし、小椋佳も素晴らしかった。


 最近、涙腺が弱っているせいかもしれないが、
 こんな番組を見ていて涙がにじんできたなんて、生まれて初めてだ。


 小椋佳は、学生時代も銀行マン時代も、歌手に専念してからもきっと、いつも、自分なんかはおよびもつかない努力をしてきた人なのだと思う。


 でも全然、そんな暑苦しさを感じさせない。


 まるで弥勒さまのような方だ。


 最後に「愛、燦々」を歌ってくれた。


 バブル当時、私を可愛がってくれた部長が好きだった歌だ。


 はやくに亡くなられたその部長のことを、久々に思い出した。


 「小椋佳」という芸名のゆかりも初めて知った。


 自分にはもう彼のような人生を目指す事はできない。


 でも、かれのような生き方を心がけるにはまだ遅くない。


 小椋佳は「人生の勇気」を不思議な形で与えてくれる人だ。

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iTunesはくるくる回らないので直感的にわからない

 当ジャパン・トランスナショナルが持っているCDの枚数、推定400枚。


 手元に置いておきたい曲はほぼ全てCDの形で持っている。


 SPレコード、LPレコード、(オープンリールの)テープ、カセットテープ、CD、MD

 私にとって「音楽」はずーっと、くるくる回るもので聴くものだった。


 だから、くるくる回らなくては、操作方法が直感的にわからない。


 私の中学校の同級生で本気で声楽をやっている人も、くるくる回っているタイプでないと、録音機の使い方が分からないと言っている。


 私の場合、くるくる回らなくなったのは iPod nano からだ。


 しかしあれは一応、ダイアルがあった。


 だから、あたまがだまされて、対応できた。


 iTunes はダメだ。なんどやってもダビングの操作をおぼえられない。

 手製のマニュアルをつくってあるのだが、それでもダメだ。


 Garage Bandも同じ。くるくる回ればつかいかた、きっとわかると思う。

 棒がだんだんヨコに伸びるんじゃ、わたし(の世代)はダメなのです。


 2万円で音楽用のボイスレコーダー、買ったけど、マニュアルを読む気もしない。


 回らなくてよい限界は YouTube まで。

 どこまで使いこなしているかははなはだ疑問だが、いちおう聞きたい曲は聴ける。


 Windows Media Player なんて、つかえたら、人生、きっとひろがるんだろうな。

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 なんとかしてくれ、天丼の金子半之助の行列

 三越前駅のそばに「金子半之助」という、超人気の天丼屋さんがある。


 東京都中央区だから、詳しい評判は「食べログ」ででもチェックしてほしいのだが、この店の行列の長さ、いい加減になんとかならないのだろうか。


 メニューは天丼一本のこの店がオープンしたのはたしか4年前くらいだった。


 当ジャパン・トランスナショナル、その頃、この店の近くの会社で働いていた。


 すごい店ができたといううわさが聞こえ、ランチに行ってみたら本当だった。

 ボリュームも凄いし、味もいいし、値段も手ごろ。


 しかし3か月後くらいだっただろうか、もう行列店になり、やがてランチの休憩時間では順番が回ってこない状態になった。


 その後、行列はますます長くなり、下手すると2時間待ちになった。


 最初の内は近くからの遠征組だったのが、23区内から首都圏全域に広がり、やがて全国からお客さんが来るようになっていたのだ。


 行列の会話から、それが分かる。


 近くに行くたびに一応のぞいてみるのだが、最近はおどろいた事に、観光客の外人さんまで並んでいる。


 電車賃や、ましてや飛行機代をはらったら、いくらなんでも絶対にワリにあわない。


 行列がすいているねらい目は夕方の4時くらいか、閉店直前らしいが、そんな時間に大盛りの天丼、食べられますか?


 いい加減、ふらっと行った時に食べに入れる、普通の店になってほしいのだ。

 しかし、いまの調子では、そんな日はそうとうさきだろう。アア。

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東大生活の最初の難関は「うでたてふせ」だった

 1972年のことだから、これも古い話だ。


 東大にはいったら1、2年生は「体育」が必修。半期ごとに種目を変えられる。


 選べた種目は「テニス」「バレーボール」「バスケ」「基礎体力トレーニング」の4つ。


 当時、一番人気がない(だれも希望しない)のが「基礎体力トレーニング」だった。


 まず「体力テスト」が行われ、基礎体力がないと判定されたヤツが、まわされる。

「テニス」「バレー」「バスケ」のちゅうせんで外れたヤツも、まわされる。


 (当ジャパン・トランスナショナルは「テニス」を希望し、外れた)


 体力テストは「反復はばとび」「うでたてふせ」ほか全部で4種目あった。


 「うでたてふせ」だけ、異様に要求水準がたかく、合格点は、なんと「24回」だった。


 まじめにやって「24回」なんてできるはずがない。4、5回できればいい方だ。


 号令に合わせて一斉にみんなで始めるわけだが、だれも腕はほとんど曲げない。

 おなかだけ、目いっぱい上下させている。


 みんなおんなじようにズルしているから、「24回」なんて無謀な基準ができるのだった。


 長じて世のなかに出て、「たてまえの重要さ」というのを思い知ったことがある。


 「たてまえ」には「たてまえ」としてのりくつがある。


 「たてまえ」の攻略にはあたまや知恵や我慢や策謀ほかを使わなくてはいけない。


 若さや正義感でむやみにたてつくことは、ある時は美談だが、ある時はドンキホーテだ。


 当ジャパン・トランスナショナルは、この24回のうでたてふせで、ばからしいくらい逆らえない「たてまえ」の存在を、身をもって学んだのだった。

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春の日本橋クルーズと川から見た東京の超高層ビル

 まったくの、たまたまなのだが、きょうは「日本橋クルーズ」を楽しんだ。


 出発点は日本橋の「橋」のたもとの船着き場。


 コースはここから隅田川に出て、東京湾までくだって、帰る。

 1時間のクルーズで、料金はひとり税込2500円。


 さくらの花はさかりをすぎていたけれど、まだ十分にたのしめた。


 当ジャパン・トランスナショナル、見覚えのあるビルがたくさんあった。

 聖路加タワー、晴海トリトンスクエア、大川端リバーシティ・・・


 どれも懐かしい。じぶんがお金を出したわけではないけれど。


 まいったのは「超高層マンション」のおおさだ。

 どこがどの会社がやった、なんというプロジェクトか、ほとんどわからなかった。


 いちばん印象的だったのは「すみだがわ」が大河であること。


 「日本橋川」という神田川の支流の中小河川から乗り入れた為か、「大河」に見えたのだ。


 どっちももうちょっと綺麗だといいね。

 もっとも、むかしに比べればずいぶんよくなったとは言うけれど。


 船会社のかたにクルーズに良い季節はいつかと聞いたら・・・・


 「桜」「新緑」「花火」「紅葉」という返事だった。


 先日、来日されたイギリスのウィリアムズ王子は浜離宮でお茶を飲むためにあんな冬の雨の寒い日にクルーズに連れ出され、王子様というのは大変な仕事だとのご感想でした。

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「東京ディズニーリゾート」と「ららぽーとTOKYO-BAY」は叔父さんと甥っ子

 素性からいうと、この2つは叔父さんと甥っ子にあたる。

 

 叔父さん側が「東京ディズニーリゾート」

 

 甥っ子側が「ららぽーとTOKYO-BAY」だ。

 

 「東京ディズニーリゾート」の父親で、「ららぽーとTOKYO-BAY」の祖父なのは・・・

 

 「朝日土地興業」という会社だ。もうとっくの昔に倒産してしまっているが。

 

 この会社、大昔、いっせいを風靡した「船橋ヘルスセンター」で有名だ。

 

 倒産して、その跡地に建てられたのが今の「ららぽーとTOKYO-BAY」だ。

 

 だから、おじいちゃんの孫だ。

 

 この辺の経緯、当ジャパン・トランスナショナルは異様に詳しいのだ。

 

 朝日土地興業は大昔、千葉県と「東洋一の遊園地を作る」と約束して、浦安で巨大埋立の許可を得た。

 

 その約束の実現として埋立地の上に出来たのが「東京ディズニーランド」だ。

 

 だから、「東京ディズニーリゾート」はおじいちゃんの子供だ。

 

 おじいちゃんが倒産したのは、埋立の許可をとった直後だった。

 

 その後はすったもんだが、いろいろあった。

 

 だから東京ディズニーランドが開園した時、パーク内に「千葉県の物産を売るショップ」もあった。

 

 あまりに場違いな店だから目立たないように、ほかの店の奥にかくれて店を構えていた。

 

 この店の目玉の売り物は、千葉の工芸の小型の「おみこし」だった。

 

 たしか100万円だったと記憶する。

 

 オープン当時、東京ディズニーランドで売られていたグッズ(土産物)の中で、いちばん値段が高かった。

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